成績が良くても医学科を受験しないということ

かつて受験生だったものに

 

 


私は受験が嫌いだ。

anond.hatelabo.jp



今朝偶然タイムラインに流れてきた、このブログを読んだ。
そしてこの文章を書こうと思い立った。
もしかしたら彼女の物語はだれかの勇気になるかもしれない。
あるいは、決められた道を進まないことの険しさが伝わるかもしれない。


これは「成績がいいからって医学科に行かなかった」ものの物語である。

私は大学で神経科学や心理学をかじったため、彼女の狂気や、普段の行動に名前を付けることもできるが、あえて差し控えておく。彼女が毛嫌いしそうなことだから。
読者が自由に解釈することは一向に構わない。

彼女の主観に沿って極力正確に書いていこうと思う。

彼女の母親は医者だった。
彼女の父親は医者だった。二人は離婚していた。
彼女の継父は優秀な建築業者だったが、母のために看護師になった。
彼女の母方の祖父も医者だった。彼は彼女が生まれる前に亡くなっていた。
彼女の母方の祖母に彼女は懐いていた。

彼女は地方の中学に通っていた。
県下有数の中高一貫校だった。
自宅からは通えないため、アパートを借りて祖母と住んでいた。
またそれがその中学を志望した大きな理由でもあった。
彼女は母親を恐れていた。母親はそれを知らなかった。
中学受験の時は医者になりたいとなんとなく思っていた。
そう思えば母親に好かれる気がして。
母親は、彼女を医者にさせようとその中学への入学を許した。

彼女は良い成績で入学した。
その中学は女子が非常に少なかったため、
先生たちは彼女たちの扱いが解らず、用心しうる限り大切に扱っていた。
ただ、その学校は非常に厳しかった。
その学校には中高の男子寮、そして高校の女子寮があった。
その学校は森に囲まれた坂の上にあった。
校則の一部を例に出そう。
男女交際禁止
男子は襟足をつまめない長さに
髪染め禁止
女子はメイク禁止、スカートひざ下
シャツ出し禁止
携帯PC漫画持ち込み禁止
朝8時までに登校
寮則としては、
液晶画面の付いた音楽プレイヤー禁止
携帯PC漫画持ち込み禁止
毎日4時間強制自習
門限18時
これらを破ると罰則があった。
服装規定は非常に厳しかった。
チャラい男子は出来るだけ見た目をチャラくしようと、
本来黒のベルトを茶色のものに変えていた。
交際禁止の校則が影響してか、中学の頃は男女間で会話する者はほとんどいなかった。
またそこそこ古い学校なのに、生徒会すら存在していなかった。
毎週、学習記録帳を提出する義務があった。
入学初週に毎日1時間半、自習したと学習記録を提出したら、
学級担任から呼ばれて勉強時間が少なすぎると注意された。

ただ、彼女は非常に自由奔放であった。
自由で過ぎたために、担任も彼女を指導することを観念した。
彼女は小説を愛していたのだ。
自習を放棄して無差別に学校図書室の本を読みふけった。

彼女にとって中学の授業は退屈だった。
授業中に本を読むのは先生から怒られるため、また先生の声は読書の邪魔であったために諦めた。
代わりに絵を描いた。
友だちを作るのは苦手だったらしい。
彼女の振る舞いは周りの者にとって奇異に映ったのだろう。
友だちは非常にゆっくりと増えていった。
2年生になると所属する部活にも馴染んだ。
周りの女の子たちはみな優しく真面目であった。

彼女は学年を上がっていく度に、医者になりたくないという気持ちは募っていった。
中学後半、彼女は「どうして自分は生きてるのか、周りの生き物たちの死に何の意味があるのか」と真剣に悩んでいた。
どうして彼女がそういう考えに囚われたのかはよくわからない。
ただ、彼女はずっとそのことを考え、本を読んでいた。
そして中学三年生の時、母親に哲学科に行きたいと相談したら、断られた。
今の学校を辞めろと、親は癇癪を起こし、退学の電話をかける一瞬前であった。
私は、友達と離れたくないという気持ちと親の元へ帰りたくないという思いで医学部に行きますと答えた。
彼女は人間なんて寿命が来たらさっさと死ねと思っていた。

彼女の成績は悪くはなかったが、勉強が嫌いだった。
勉強をするために時々家庭教師を呼び、
授業の復習をすれば、定期テストの英語の文章はその場で読まなくて済むことに気が付いた。
中2のころ学年200人中30位以内に入ったら好きなロックバンドのライブに行っていいと言われてぴったり30位をとった。
チケットがかかってない限り、母に小言を言われない範囲で彼女は勉強していた。
どの科目にも興味はなかった。テスト当日の朝から勉強することもしばしばあった。

高校にあがり、お世話になった祖母のもとを離れ、彼女は寮に入る。
女子寮は男子寮よりも規模は小さく、寮則もややゆるい。
寮母さんも親身な方であった。
高1は、熱血の先生が担任となった。センターまで1000日切ったことを喧伝するタイプだった。
クラスメート学習記録を引用した学級プリントを毎日配布され、彼女はやる気をだした。
朝5時に起きて勉強することもあった。
しかし、部活に行って、帰って食事して風呂入って、ちょっと小説を読んだら寝る時間である。
1日に4時間もクラスメートのように勉強するのは努力しても自分には無理だと悟った。
少ない時間しか勉強できないこと、誇りにも引け目にも感じていた。
彼女はドロドロのナルシズムを抱えていた。

偶然読んだ「利己的な遺伝子」が面白くて、私が中学の時悩んだ問題に一つの解を与えてくれたようで、大学で生物を学ぶのもいいなと思った。

彼女は志望校を決めようと思い立った。
親にやっぱり医学部に行きたくないと話せば怒鳴られて、
友だちに志望校を相談し、友だちの親に相談し、かなり悩んだ末に目標を京都大学医学部に決めた。
模試の成績を見るに無理な目標ではなかった。
夜に理由もなく泣いていた。
中原中也の詩集と星の王子様を繰り返し読んでいた。

高2高3と学年が上がる。
毎日の学校生活はとても楽しかった。
寮の誕生日パーティー、文化祭、体育祭、彼女は全部満喫した。
周りの子たちに従うようになんとなく勉強していた。

学年の過半数は医者を目指していて、
医学部を志望するのはごく当たり前のように思えた。
母親からは時々優しく、時々ヒステリックなメールが届いた。
成績は上がって、二年末の東大模試では成績優秀者に載っていた。

良い友だちに恵まれたものの、良い相談相手はいなかった。
大人含め、誰も親との関係は理解できないし、哲学的なことは考えてないし、
自分は孤独だと思っていた。
古典と呼ばれるものを読むと外れがないということに気が付いて、読み漁っていた。

高3のある日、学校で放課後自習して、そろそろ帰宅しようと席を立とうとしたら立てなかった。
30分ほど待って、立てるようになってから帰った。
立てなくて泣いているのを担任に見られ、親に相談されて面倒だった。
彼女は鬱のような状態には慣れていた。

京都大学医学部を目標に定めているものの
勉強が全く手に付かなくて、週で1時間ほどしか自習できない日も多かった。
勉強できないことは純粋に辛かったようだ。
当然なことに成績も悪いが、もうそれらは興味外であったらしい。
ただ彼女の根本は楽観的なようで、どうにかなるさと思い切って、
毎日詩を書いたり音楽を聴いたり読書したり、受験が終わるのを待っていた。
裏山の神社も気に入ってよく一人で遊びに行っていた。
黄昏時の裏山に純粋な畏怖を感じて、生物を学びたいという気持ちは強くなった。

高校の正月合宿でセンターの勉強をして、
さすがに直前期は勉強しないとまずいのではないかとあたふた焦り、
センター本番で900点中816点をとった。
彼女は医学部志望の友だちの多くがセンターで失敗したのを見て、
成績だけ本当に代わりたいと思っていた。
もう一度、親に理学部に行きたいと相談したが、一刀両断された。
まだ大学に行ける時じゃない、と思っていたので
変なところに受からないように京大医学科前期と東大後期に出願した。
まず受からないだろうし、受かる気もあまりなかった。
そのまま勉強しなかったため、希望通りに落ちた。
受験旅行は、罪と罰読書旅行だった。
卒業はとても名残惜しかった。部活でも寮でも、やり残したことがたくさんあると感じていた。

そして、京都の駿台で浪人をする。
この約束は予め親に取り付けていたそうだ。
しかし、医学部に行くという制約がますます強くなってしまった。
彼女は寮に入った。
最初こそ張り切っていたものの、彼女は授業に出なくなってしまった。
引きこもって、ソーシャルゲームをしていた。
主に真っ暗な液晶画面を眺めていたそうだ。
時々元気な時は、夜に自転車を飛ばして、電灯の明かりと自分の影から逃げて遊んでいた。
音は聞こえても、人の発言の内容が理解できなくなっていた。
分厚い透明な膜が下りていて、自分の発声が自分のものだとの認識も薄かった。
夏に実家に帰省したものの、志望校を変えたいとすら言い出せなかった。

 

8月下旬になり、引きこもりを脱するため、友達を作ろうと彼女はツイッターのアカウントを作った。
春に知り合っていた寮友の一人からアカウントを教わって、芋づる式に、クラスの人たちをフォローした。

彼女の作戦は成功し、予備校での友だち関係は、量質ともに充実した。
不思議なことに彼女は前期の成績優秀者として表彰されていた。
そもそも彼女が前期のすべての模試に出席していたことが私には驚きだった。
彼女は翌日に京大模試があることすら知らなかった。
昼間の光に慣れるために、近所の公園での日向ぼっこを日課にした。
喜劇のような出来事たちが、ツイッターごしに伝わってきた。
駿台にも徐々に顔を出した。
授業は性に合わない(彼女曰く、「受験に必要ない」)らしく、
食堂で自習をしていた。
自習といっても、ただ昼寝をして帰る日や、
半分が会話の日もあった。
リハビリなんだといって笑っていた。

 

11月末になり、彼女はふと思い立ったようだった。
「やっぱり理学部に行きたい。」
彼女は駿台で出会った友だちから、不条理なことにはきちんと怒るということ、
親は絶対的な存在ではないということを教わったようだった。


親に理学部志望を強硬に主張したところ、家に帰ってこいと言われ、
クラス担任との号泣3者面談を経て実家に帰った。
彼女はもう後戻りはできないと腰を据えていたので、絡め手を使った。
母親の旧友に相談して、母を無理にでも説得させようとし、
祖母には泣き落としをした。

結局母親が折れた。

彼女は国立前期だけ、理学部を受験する許可をもらった。
ただ、学費は出さないだとか、後期は絶対に受かる医学部に出すとか、
私立の医学部を受験するだとか様々な条件が付いていた。
(最後の条件は「合格する」の意味だったらしく、
彼女は2月20日にそれを聞いて、前期受験の昼休みに私立後期の出願をしていた)

母親は彼女を嘘つきだとなじった。
自分を被害者だと言って、親からも子どもからも搾取される存在だと思っていた。
あんたなんて産まなきゃよかっただとか、
ずっと投資してきたのに、親への裏切りだとか言った。
母親の周りには、医療関係者か地方の小金持ちかしかおらず、
それらが母親のすべてだった。
勉強以外に何も出来なさそうな彼女が、
医者以外の仕事以外で生きていけるとは思っていなかった。
また、まわりの医者への体裁もあった。
継いでほしいという思いも微かにあったのかもしれない。

彼女は母親に土下座した。
母親は、自分の言葉が彼女を傷つけているのを知らないのも知っていた。
母親の主張の理解できる部分もあったが、医学部に行くのは無理な話だった。

その後彼女は、京大理学部に志望校を決め、勉強が出来ないというコンプレックスを失くすために勉強をした。
お気楽な性格らしく、落ちるのではないかという、浪人生によくあるプレッシャーを
感じることはないようだった。
無事予定通りに目標の参考書を終わらせた。
彼女はあらよという間に受験を終え、志望校そして私立の合格通知を抱えていた。
それでも祖母から私立医学部に行くように再度懇願されたが断った。

これが、彼女の受験の一部始終である。
私には、彼女が正しかったとは到底思えないし、彼女の母親が正しかったとも思えない。
彼女は自由の学風と呼ばれる環境で生物をのびのび学んでいる。(あれほど嫌ってた勉強を)
森を歩き、植物のつくりを学び、細胞を覗き込み、
人類の進化に思いを馳せ、生き物たちの相互作用に感嘆し、カエルの鳴き声に笑っている。

高校生の頃から、大学の内容まで興味を持って学び、研究をしていた友だちや、自然と触れ合って生きてきた友だちも多いらしく、「もっと違う高校生活を送れたかな」と言うときもある。
母親とも現在は多少はうまくいっているようだ。

医学科に合格するのは難しいが、
偏差値が高いなら行かせればいいというものではない。
そもそも彼女みたいな人が医者になれて、本当に医者を目指して心優しく勤勉な人たちが、成績の問題あるいは運の問題で医者になれない制度は納得がいかない。
医者になると期待された人が成績以外の理由でその道を行かないのは、驚くほどのエネルギーが必要だ。
家族との人間関係を丸ごとねじ伏せなければならない。
高校や塾の担任から合格実績の面から反対されるかもしれない。
またほかのどの学部に行っても医学科ほど将来の社会的、金銭的安定は望めない。
また受験生自身のプライドの問題もあるだろう。


受験生に言いたいことは特にない。自分で道を選べ。
親御さんは、なにより受験生本人の意思を尊重してほしい。
わたしたちは、自分が何者なのか、知っている。

 


私は、彼女が、なりたいと望んだものだ。
私は、彼女が嫌いだ。
だが、その期待も絶望も背負って精いっぱい生きていこうと思う。

つゆだく百合えっち丼 (1)

疲れた体を引っ張って松屋に着く。傘を閉じて傘立てに置く。午前一杯自習して疲れた。コーシーシュワルツの不等式ってなんだったっけ。小銭を入れて、迷いもせず券売機のボタンを押す。いつもの百合えっち丼(大)とトッピングのさっぱり。お釣りを拾い、食券を店員さんにわたす。

「百合えっち丼をひとつさっぱり、つゆだくで」

「あ、あすいません、も一回」

「さっぱりつゆだく百合えっち丼一つ!」

「ちわっす。」

僕は席について携帯をいじる。タイムラインを3度引き下げて「つゆだく百合えっち丼食べたい」とつぶやいたところで、注文していた丼が来た。

おまたせ、いつもの、こころの救い。写真を撮ってツイッターにアップする「つゆだく百合えっち丼最高」

どんぶりの中では二人の女の子が寝転び抱き合っている。尊い以外の言葉がない。暑くても互いの存在を感じたいと女の子たちは互いの手をしっかり繋いでいる。えっちだ。さっぱり仕様のため扇風機の風が吹いていて、ご飯はぬるいピータイルの温度だ。僕は二人に息を吹きかける。片方の子が目を擦る。起こしてはいけない。箸でつまんで小皿に二人を取り分ける。すやすや眠る二人を見つめながら、僕はご飯を掻き込んで行く。汗がしっかり染み込んでうまい。やっぱり、松屋の百合えっち丼が一番おいしい。コスパよし。リツイートで見たのだが、昔は牛丼なんてものがあったらしい。死んだ動物をご飯の上に乗せるなんておかしな風習だ。ごちそうさまでした、と僕は言って丼と小皿を返却して店を出る。傘を開きながら、二人のハグを思い出して悦に浸る。

あー次の模試日曜かよ、だるいな。